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映画「天上の花」舞台挨拶によせて

2022年12月18日、舞台挨拶に伺い、公開から遅ればせながら本作を初鑑賞しました。

「天上の花」ポスター

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「愛ゆえに男が女を殴る。」
これは、本作に対するコメントで、主演の東出昌大氏(以下敬称略)が一言目に述べた言葉です。
その言葉は現代の価値観からはとても許されるものではなく、大変ショッキングです。

そのコメントのために、当初私は作品に対して忌避的な感情を抱いていましたが、
鑑賞後の現在では、数か月ぶりにこうやって感想blogをしたためるほどには、私にとって印象的な作品となりました。

作品からは様々な発見と気付きを得ました。
雑感中心ではありますが、したためてみたいと思います。

昭和のレトロな雰囲気が美しい画面構成

どの場面も、まるで絵画のように、絵葉書のように、美しいのです。
様々な文化遺産でロケを行われたという今作では、引きの画角でレトロな美しさが描かれています。
特に、手前側にある物体の前ボケがおぼろげに入るシーンが、懐かしく曖昧なイメージを感じさせると同時に、人物間の精神的距離も描かれているかのようです。

美男美女「映画スタァ」という舞台装置

奔放な美人の慶子、朴訥とした純粋な文学青年の三好。
カップル役を演じた東出と入山は、着物のよく似合う美男美女です。
二人とも出で立ちは人形のように日本的でありながら、その佇まいと美貌は画面に埋もれることなく、常にスポットライトを浴びているかのようでした。
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実際は189cmの長身を誇る東出ですが、作中の三好に対しては、特にそういった描写はありませんでした。
東出の体躯は、作中で本人を際立たせるスポットライトのような舞台装置的な役割を果たしているように感じられました。

詩人たちの詩

作品の要所要所で、役者たちによって、演じられた実在の詩人たちの作品が朗読されます。
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各役者たちによる演じ分け、そしてそれぞれの詩の響きや、歴史的・意味的な背景……
非常に味わい深い演出であったと言えるでしょう。
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いささかずっしりしたパンフレットにはそういった解説も含まれているとのことで、東出からは、そういった背景を読んだうえで、また作品を鑑賞してほしいとの言葉が舞台挨拶で述べられました。

淡々と描かれる現代とは違う価値観

主人公三好達治は、「愛ゆえに」妻慶子に手を上げる……といった前情報が一部で物議をかもしていたようですが、その「愛ゆえの暴力」というのは、いわゆるSM的な暴力行為への陶酔や賛美ではありません。
舞台挨拶でも東出は、暴力について「今日ではコンプライアンス的にも許されず、暴力は全てを破壊し、虚無しかない」と述べています。
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作中でも暴力は肯定的に描写されてはいないものの、作品舞台は戦前であり、慶子と三好をとりまく人々の態度からは今日とは異なる価値観が感じ取れます。
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しかし、現代と違う価値観を持っていたのは「女を殴る男」だけではありません。
慶子もまた、現代からは考え難い要求を持っていたように見えました。
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本稿では良し悪しについてはジャッジしません。
ただ、かつて存在していたであろう「そういうもの」を遺す創作物は必要であると、私は強く思います。

個人的な「戦争」

本作は太平洋戦争前後が舞台となっていますが、ヒロイン慶子の視点からは「国家」は大きくスポットされておらず、非常にプライベートな感情と絡められています。
空腹、不自由な生活、戦争の勝ち負け……
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戦争作品で描かれるイデオロギー的な「大きな物語」は、今日の私たちにとって共感は難しいでしょう。
しかし、慶子のプライベートな感情は、戦後80年近く経った今でも変わらないものであると感じられました。
嫉妬、不満、そして私怨。
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先述の暴力に対する価値観が今日からは同意しがたいものであることに対し、非常に対照的です。

東出昌大三好達治の異同

舞台挨拶の質疑応答で、東出は、自分自身と演じた三好との異同を述べます。
異なる点は、東出は暴力に対して否定的であるということ。
似ている点は、男ならかくあるべし、という頭の固い部分とのこと。
監督やプロデューサーと共に役作りをしていく中で、現場の男たちの嫌な部分を混ぜ合わせたようなキャラクターになったとのエピソードが東出によって語られました。
(が、監督曰く、9割東出の側面であるとのこと。冗談めかした口調から、撮影現場の和やかな雰囲気が読み取れます)
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ちなみに、大阪での舞台挨拶ということで、大阪市出身の三好達治に対するエピソードが補足されました。
今作の原作である小説「天上の花」は、三好達治の姪である萩原葉子の文壇デビューに合わせ、三好は自らの人物像への誇張を許したとのこと。
よって、三好本人は、作中ほど強烈な人物ではなかったとのことでした。

「愛ゆえに殴る」ことに対する私見

三好の慶子に対する愛、そして振り上げた拳には、私にも一種のシンパシーがありました。
愛の重さゆえに、万能の幻が己の中に形作られることがあります。*2
例えばそれが、現実では異なっていたら? 愛する者自らが拳を振り上げて、自分が胸中に抱いたその幻想を破壊したとしたら?
三好の感じた痛みは想像に難くありません。*3
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三好は、慶子と別れたあと、彼女の抱いた欲求を他の女に投影します。
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三好は往年まで、16年4ヶ月間かけて育てた慶子の幻を、自らの中に抱き続けていたのでしょうか。
それとも、その幻は、持ち主とはぐれた着物のように、空っぽになっていたのでしょうか。
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三好は上述の行為によって、暴力を振うまでに肥大化したその幻を、寛解させることができたのでしょうか。
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私の持論ではありますが、人は変わることはありません。
ただ、今まで見えなかった面が見えたとき、「変わった」と感じるのではないでしょうか。
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愛に必要なのはきっと、深淵をも受け入れる、受容の心なのだと思います。

愛ゆえに男が女を殴る。
そんな理屈は詭弁だと思っていた。
しかし悪魔的な、本人にとっては純真無垢な愛に翻弄された時、
人は変わってしまうのかも知れない
深淵を覗き込む物語です。
是非ご覧下さい

東出昌大

映画『天上の花』公式サイト より引用

*1:https://www.cinewind.com/movie/32215/ より画像引用

*2:いわゆるLOVE PHANTOMです

*3:オタク用語で言うところの、「解釈違い」