簡潔に自己紹介をしたい2023
映画「天上の花」舞台挨拶によせて
22/02/05 「悪魔と永遠」開演に寄せて
2022/2/5、下北沢 本多劇場
この日、劇団東京夜行の上演する「悪魔と永遠」を観劇に、下北沢は本多劇場を訪れました。
東出昌大氏が出演する、約1年3ヶ月ぶりの舞台です。
コロナ禍が生活に忍び寄ってきてから丸2年、そして何度目になったかも忘れた「まん延防止等重点措置」が発令されて2週間。
舞台方も観客も、誰しもが不安だったとは思いますが、粛々と初日の幕は上がりました。
私にとって、とても強烈な観劇体験となりました。それをブログにしたためようと思い立った次第です。
【ビジュアル解禁】
— 東京夜光 (@tokyoyako) January 18, 2022
劇団 #東京夜光
『#悪魔と永遠』
作・演出:川名幸宏
出演
東出昌大 尾上寛之 前田悠雅
丸山港都 草野峻平 笹本志穂
東谷英人 砂田桃子 吉田多希 中西良介 藤家矢麻刀
村上航
2.5(土)-13(日)
下北沢 本多劇場
チケット好評発売中https://t.co/hnqdCmfVUD pic.twitter.com/dMz0falRFF
あらすじ
平凡なサラリーマンである東出演じる鞍馬正義は、春の決算を終え、一年に一度だけ羽目を外す。
そしてクラブでたまたま出会った”不思議ちゃん”な若い女性マリアと、酒の勢いでドラッグに手を出し、雑居ビルの屋上から共に投身自殺を企ててしまう。
マリアは亡くなり、生き残った正義は、薬物使用と自殺幇助で懲役4年。
出所し、「生まれ変わってやる!」と足場鳶としてまじめに生きて行こうとする。
ところがそんな彼には、マリアの幽霊が纏わりついていた。
「あんた悪くないよ」と語りかけ、時にコミカルに、真剣に、正義の生活に寄り添い続ける。
(フライヤー記載のあらすじに、一部脚色)
所感
「良い人」というレッテル
レッテル貼りという言葉がある。
辞書によれば「一方的にその人物の人格や能力などの格づけをする。」という意味らしい。一般的には、マイナスイメージの言葉と合わせて使われることが多いと思う。
「良い人」という言葉がある。一般的には、ポジティブなイメージだ。
良い人とは一体何なのか。誰にとって「良い人」なのか。
それを深く考えさせられる物語だった。
それは、体のいい呪詛だ
正義は爽やかな好青年、まさしく「良い人」である。
周りは彼を「良い人」だとみなし、彼自身もまた「良い人」であり続けようとする。
私はその「良い人」という言葉に、あえてマイナスイメージな「レッテル貼り」という言葉を結び付けたいと思った。
「良い人というレッテル」は、体のいい呪詛のように感じられた。
それが故に生まれたひずみが、この物語の根本に見えた。
善人なんてやめてしまったほうがいい。
私は正義を見て、正義としての台詞を涙ながらに紡ぐ東出を見て、そう願いたくなった。
とはいえ、作中には懐の広い「良い人」もいて、そこには心暖かさも感じる。
だから、一概に善人なんてやめたほうがいいと結論付けることはできない。
安直に、思考停止的に、割り切って語る「模範」や「道徳」として本作を消化してはいけない。
私はそう思う。
簡単な答えは存在しない
「罪を犯し、罰を受けた人がどうやって生きていくのか」
これは、本作の紹介で、演出家の川名氏が繰り返し触れた言葉だ。
その問いかけに対して、明確な一つの答えというのは存在しないだろう。
それを示す通り、作中にもいくつかの例が示されているが、これが正しいという答えは示されていない。
「頑張るしかない」
その言葉は時折レッテルとなり、枷となり、時には傲慢さともなる。
「頑張れ」「大丈夫」
その言葉は時折残酷な響きとなる。
そういったあらゆる「安直さ」に対する多面的な答えの提案が、本作だったのではないのか。
私にはそう感じられた。
雑感
シンプルな舞台セットから色鮮やかな風景が浮かび上がり、テンポよく進むストーリーに、「次はどうなるのだろう」とハラハラさせられて展開を楽しむことができました。
私は初日のソワレ・マチネと鑑賞しましたが、二度目の鑑賞で、緻密に設定された伏線に気付かされる快感すら覚えました。幸いにもあと3公演控えているので、また様々な角度で見ていきたいなと楽しみにしています。
また、重い台詞や考えさせられるシーンも多く、可能であればソフトとして手元に置いておきたいとも感じさせられました。
「演劇」は新鮮なナマモノであることはわかっています。
しかし、未来の自分が、今と違う自分が、この作品をどう受け止められるのか、それにも期待させられるのです。
もし拙文が関係者様のお目に留まることがありましたら、ぜひソフト化をご一考いただければ幸いです。
参考リンク
211009 「草の響き」舞台挨拶によせて
2021年10月9日、新宿武蔵野館で行われた「草の響き」の舞台挨拶に伺いました。
場内には作品イメージの展示ブースも作られ、作品の歓迎ムード高まる中、主演の東出昌大さん、奈緒さん、そして斎藤久志監督が登壇され、貴重なエピソードが披露されました。
そういったエピソードを交えつつ、本作の完走を語ってみたいとおもいます。
「草の響き」には、様々な立場の困難に遭遇した人々が現れる。
東出昌大演じる主人公カズオは、仕事で困難に遭遇し、心を病む。
そして彼を取り巻く人々、妻ジュンコ、親友のケンジ。
勉強は出来るが部活がうまくいかない高校生のアキラ、中学のときに虐められて不登校になった経験を持つヒロト。
心を病んだ当事者以外にも、取り巻く人物も作中には登場する。
その精緻な描写は、心を刻みつけるほどのものだ。
同じ苦しみを持つ鑑賞者が本作によって救われてほしいと、主演東出はインタビューや舞台挨拶で繰り返し語っている。
そして劇場で出会った斉藤監督からも、私はそのように声をかけられた。
救われてほしいと言われても、本作は決して「癒やし系」の作品ではないし、「理想論」「綺麗事」が描かれているわけでもない。
同じような経験をした者ならば、危ういほどに生々しい「綺麗事じゃなさ」を痛感することができるだろう。
実体験が作中で「再現」される。
登場人物らは、それらを乗り越えて成功するだけではない。
物語だけど、架空の登場人物だけど、うまくいかないし、惜しいし、つらい思いをする。
その「再現」が、追体験が、一種の寄り添いのように私には感じ取られた。
舞台挨拶で東出は、見出しにするとセンセーショナルにもなるそのラストの出来事を「肯定する」と言った。
自分が辛い経験をした人々や、周りの人が辛い思いをした人。
誰もがその「肯定」に、意味を見出してほしいとおもう作品だった。
21/4/24 濱口竜介監督 Zoom講座「映画の観方」に寄せて
2021年4月24日、福山駅前シネマモードの主催で、濱口竜介監督を招いてZoom講座「映画の観方」が開催されました。
【申込締切=4/22】
— 福山駅前シネマモード(広島・映画館) (@cinema_mode) 2021年4月18日
Zoom講座「映画の観方」
4/24(土)20:15~
ゲスト:濱口竜介監督(『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』)
講座と題していますが、濱口監督や参加者どうしで映画談義をするようなリラックスした雰囲気です。その中でたくさんの発見があるはず。https://t.co/Zc715MlruX
『寝ても覚めても』(濱口竜介監督作品/2018年)について、
参加者の感想や質問に 濱口監督がコメントします。
監督との対話や、他の参加者の意見に耳を傾けることで、
一本の映画をとことん深堀する楽しさを体験してください。
というイベント概要を拝見し、是が非でも参加しなくてはと思い、早速応募しました。
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映画「寝ても覚めても」は、私が俳優 東出昌大さんを本格的に気にし始めるきっかけとなった作品でした。
公開から間もなく3年が経つ今、本作を題材とした場は、非常に貴重だと感じられました。
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今回は、書ききれない内容もあって惜しいとも思いながらも、私が特に好きな登場人物である「亮平」について語られた内容を中心に、レポを書いてみました。自分にとって大切な内容についてまとめることができたと思います。
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録音があるわけではないので、書かせていただく表現は、私というフィルターを通したものになるかもしれませんが、ご了承いただければ幸いです。
- 私にとっての「映画の観方」
- 監督への質問「裏設定について」
- 朝子と亮平は、あの後どうなっていくのか
- 濱口監督の語る「映画の観方」
- 余談 キャラを愛でるということ
21/3/17 「BLUE/ブルー」試写会に寄せて
2021年3月17日、「Blue/ブルー」の試写会に当選し、ご招待に預かりました。
実はオンライン試写の方を第一希望で応募していたのですが、まさかの第二希望当選。そして、私の手元には勢いで買い占めた前売り券の束。
いや、試写当ててくれなくても私は見に行くって……という複雑な感情も抱きつつ、辞退するべきかギリギリまで悩んでいたのですが、せっかくなのでと弾丸スケジュールで関西から上京しました。
結果、スクリーンで見ることができてよかったと、大変納得できた作品でした。
まだ公開前なので極力本筋には触れませんが、感想をしたためてみたいと思います。
クソッタレな青春
本作のポスターにある煽り文句は、私に強烈な印象を与えました。
ボクシングがテーマ、そして髭面でボサボサ髪の主演 松山ケンイチ氏。あらすじや予告を見ると、松山氏演じる瓜田は弱いボクサーで、チャンピオンを目前にした東出氏演じる小川は、瓜田の初恋の人と婚約をしているらしい。しかしそんな小川は、パンチドランカーを患ってしまう。
粗暴な映画かもしれない。
肉体的、精神的な痛みを伴う映画なのかもしれない。
あらすじからそう覚悟した私ですが、この予想は見事に裏切られました。
実際のところ、私にはボクシングに関する知識はありません。フェザー級という言葉やジャブを打つなんて言葉は知っていても、実際意味はよくわからない。その程度のド素人です。
しかし本作は大変よく楽しむこと出来ました。
その理由は、本作がクローズアップしたものが「クソッタレな青春」だったからに他ならないからです。
登場人物は皆、完璧ではありません。何かが欠けています。
例えば松山氏演じる瓜田は、ボクシングをとても愛しているのに、絶望的に弱いのです。そして初恋の人である千佳はそんな瓜田に対して好意的でありながらも、チャンピオンを目前にした強いボクサー、東出氏演じる小川と婚約します。そんな小川ですが、志半ばにパンチドランカーの症状に苛まれていきます。
登場人物には皆、手に入れられないものがありました。
このように登場人物は誰しもが、挫折と渇望を抱えています。
ボクシングがわからなくても
私たちは誰しも、クソッタレな青春時代に、何かを失い、諦めた経験を持つと思います。
本作の登場人物も皆、何かを諦めて手放していきます。
しかし結末は、想像していたほど酷いものではありませんでした。
トークショーでは、「勝ち負けではないところに生きる意味を見出す映画」と評されました。
吉田監督のおっしゃられた、何をもって人生を勝ちとするか負けとするか、という言葉が印象的でした。お墓に入ったときにいくつ、「胸がキュッとするもの」を持っていけるかが人生である、ともおっしゃられました。*1
本作のラストには、青春時代に何かを手放して諦めて挫折してしまった私たちを肯定するものが存在しました。
新しいスタイルの東出氏
東出氏演じたボクサー「小川一樹」について、監督は、男らしいが、ちょっと頭の悪い奴であると評しました。
勉強はできなさそうな、ボクシングと車の運転以外できなさそうな、デリカシーのない男性という人物像です。
私は、東出さんがこういったキャラクターを演じるのは非常に珍しい、もしかすると初めてなのでは、と強い印象を受けました。
実は、作中のあるシーンに私はドン引きしました。今までの東出さん演じたキャラクターからは想像できないような振る舞いです。見た人なら絶対わかる、あのシーンです。
自分がされたらと思うと千年の恋も醒めるし、真顔で肘鉄を入れて蹴飛ばしたくなるような、そんな行動です。
でも、ヒロインである千佳はそんな人物像である彼を許容します。
許容された「小川一樹」は、憎めない、愛すべきキャラクター像をソリッドに見せました。
誰一人完璧じゃない、これは私が各登場人物から強く受け取った印象です。
その完璧じゃなさを互いに許容する様は、愛しているとも言えるでしょう。
そういった関係性がそこからは汲み取られました。
簡潔に自己紹介をしたい2021
初めまして、藤佳あやらと申します。関西在住ですが、大阪日本橋・東京秋葉原・群馬県渋川市などのイベントによく現れます。普段はツイッターで情報発信をしています*1。
twitter.com
自分のツイート内容がいつも雑多なので、新しく知り合う方には、こいつ何やねん!?と伝わりづらいのかなと思い、新年を機に自己紹介を書いてみようと思いたちました。*2
以下が、私を構成する要素です。
下に行くごとにどうでもいい情報が増えていきます。なんかこういう人なんだなーとざっくりご査収のほどよろしくお願いいたします。